夏坂健さんの著書『ゴルフの恋文』に、私が忘れられない一節があります。
それはトム・ワトソンが、学生時代から親しんできた「カンザスシティ・カントリークラブ」を自ら退会した理由について書かれたくだりです。
名門であり、彼にとっては“ふるさと”のようなクラブでしたが、ワトソンはある日、静かに去る決断をしました。
理由はただひとつ。地域に住むユダヤ人リーダーの入会が拒否されたからです。
ワトソンの妻リンダ夫人はユダヤ人であり、誰からも愛される人でした。
だからこそ、クラブが「ユダヤ人だから入れない」という姿勢を取ったとき、彼は抗議の言葉を口にせず、退会という行動で「ノー」を示したのです。
夏坂健さんはこう記しています。
「ワトソンが退会した理由を説明する必要はないだろう。彼のゴルフと同じように、その行動は静かで、ブレがなく、美しかった。」
この言葉は、ゴルフを単なるスポーツとしてではなく、人間の在り方を映す鏡として捉える視点を私たちに与えてくれます。
偏狭なるハザードとは何か
「ハザード」と聞くと池やバンカーを思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし夏坂健さんは、人間の心の中にある境界線、つまり「差別」や「排除の空気」こそが、本当のハザードだと示唆しています。
ゴルフは本来、誰にでも開かれたスポーツです。肌の色も、宗教も、職業も、ゴルフボールには関係ありません。
それでもゴルフ場には「紹介者がいないと入れない」「格式に合わない」などの“見えない壁”が存在することがあります。これこそが「偏狭なるハザード」です。
100切りを目指すゴルファーへの教訓
100切りを目指す私たちアマチュアにとって、この話は遠い世界の出来事のように見えるかもしれません。
しかし実際には、同じような「心のハザード」に私たちも直面しています。
- 「自分は下手だから迷惑をかけているのでは」
- 「飛ばせないからラウンド仲間に劣っている」
- 「高価なクラブを持っていないから一歩引いてしまう」
こうした思い込みもまた、偏狭なるハザードです。自分で自分を制限してしまえば、スコア改善も楽しさも遠のいてしまいます。
ワトソンのように「静かに、しかしはっきりと」線を越える勇気が、100切りには必要です。
ゴルフは人を迎え入れるスポーツ
ゴルフは「紳士のスポーツ」と呼ばれますが、それは単に服装やマナーの問題ではありません。
相手を尊重し、自分に厳しく、誰とでも同じ条件で競うこと。
この姿勢こそがスコア以上に大切であり、人間性を磨く最良の場となるのです。
だからこそ、100切りを目指す過程では「人を迎え入れる心」を持ち続けたいところです。
クラブ選びにも現れる「心の器」
ワトソンの行動はクラブ(倶楽部)の話でしたが、私たちにとっては「クラブ(道具)」選びもまた自分を映す鏡です。
無理にプロ仕様の難しいアイアンを選んでも、自分のゴルフを苦しめるだけです。
100切りを目指すなら、自分に合ったクラブを選ぶ謙虚さと、必要な投資をする勇気が重要です。
たとえば、 forgiving(やさしい設計)のフェアウェイウッドやユーティリティは、ミスを減らしてゴルフを楽しくしてくれます。
▶ 100切りゴルファーにおすすめのクラブ
まとめ ― あなたのゴルフは人を迎え入れているか?
ゴルフは人間の器を映す鏡です。
トム・ワトソンが静かに退会を選んだ姿勢は、差別や排除を拒む「迎え入れる心」の象徴でした。
100切りを目指すゴルファーにとっても、この姿勢は大切です。
スコアだけでなく、仲間を大切にし、自分を縛る心のハザードを乗り越えてこそ、本当の意味でゴルフは上達するのではないでしょうか。
次のラウンドで、ぜひ自分に問いかけてみてください。
「私のゴルフは、人を迎え入れているか?」